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ジョナサン・プライス
キャスト · 知られているのはザ・クラウン, パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト, パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち
英ウェールズ・ホリウェルで労働者階級の家庭に生まれる。16歳の時に家を出て芸術学校に通い、ロンドンの王立演劇アカデミー(RADA)に進学。舞台俳優としてキャリアをスタートさせ、77年の米ブロードウェイデビュー作「Comedians(原題)」ではトニー賞(演劇部門)で男優賞を受賞。89年に英ウェストエンドで初演されたミュージカル「ミス・サイゴン」では売春宿を経営するエンジニア役を演じ、91年のブロードウェイ公演で再びトニー賞を受賞した。演劇中心に活動していたため、70年代は映画の出演本数が少なかったが、80年代後半から「未来世紀ブラジル」(85)などでスクリーンでも存在感を放ち、「キャリントン」(95)ではカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞する。その後の出演作に「エビータ」(96)、シリーズ18作目「007 トゥモロー・ネバー・ダイ」(97)、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ(03~07)のスワン総督役、人気TVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のハイ・スパロウ役(15~16)、「天才作家の妻 40年目の真実」(17)など。2009年には大英帝国勲章コマンダー(CBE)を授与された。19年に公開されたNetflixオリジナル映画「2人のローマ教皇」で、後のローマ教皇となるホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿役を演じ、ゴールデングローブ賞の助演男優賞およびアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。長年のパートナーである女優のケイト・フェイとの間に子どもが3人いる。

ジェフ・ゴールドブラム
キャスト · 知られているのはザ・フライ, ジュラシック・ワールド/新たなる支配者, マイティ・ソー バトルロイヤル
米ピッツバーグ出身。17歳でニューヨークに引っ越し、演劇界で俳優としてキャリアをスタートさせる。1974年の「狼よさらば」で映画に初出演し、続いてロバート・アルトマン監督の「ジャックポット」(74・日本劇場未公開)と「ナッシュビル」(75)に出演。「アニー・ホール」(77)や「SF ボディ・スナッチャー」(78)を経て、「再会の時」(83)で知名度を上げた。その後、舞台版「エレファント・マン」でタイトルロールを演じたほか、映画「眠れぬ夜のために」(85)で主演を務め、「ザ・フライ」(86)で一躍有名になる。大ヒットSF映画「ジュラシック・パーク」(93)ではメインキャストの1人として出演し、続編「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」(97)では主演を務めた。これと前後して出演した「インデペンデンス・デイ」(96)も大ヒットを記録し、続編「インデペンデンス・デイ リサージェンス(原題)」(16)にもカムバック。その他の出演作に「ライフ・アクアティック」(04)やTVシリーズ「LAW & ORDER クリミナル・インテント」(09~10)などがある。私生活では、80~86年に女優のパトリシア・ゴールと、87~90年はジーナ・デイビスと結婚していた。15年、3番目の妻エミリー・リビングストンとの間に第1子となる長男が誕生した。

リヴ・タイラー
キャスト · 知られているのはインクレディブル・ハルク, すべてをあなたに, ロード・オブ・ザ・リング
米ニューヨーク生まれで、父はロックバンド「エアロスミス」のボーカル、スティーヴン・タイラー。母は70年代のトップモデル、ベベ・ビュエル。10代でモデルを開始。16歳の時にエアロスミスのPVで注目を集め、「精神分析医J」(94)で映画デビュー。 「すべてをあなたに」(95)や、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品「魅せられて」(96)で注目され、「アルマゲドン」(98)でスター女優となる。「クッキー・フォーチュン」(99)、「Dr.Tと女たち」(00)などを経て、2001年からは大ヒットシリーズ「ロード・オブ・ザ・リング」3部作にも出演。 私生活では03年から08年までミュージシャンのロイストン・ランドンと結婚、1児をもうけ、その後、英スポーツエージェントのデヴィッド・ガードナーとの間に2児をもうけて3児の母となった。25年、08年に「インクレディブル・ハルク」のヒロインを務めて以来16年ぶりに、「キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド」でマーベル作品に復帰した。

クリント・イーストウッド
キャスト · 監督 · 知られているのは続・夕陽のガンマン, 許されざる者, ミスティック・リバー
本名はClinton Eastwood Jr.。幼い頃、父の仕事の関係でオークランドに移住。高校卒業後、伐採工などした後、陸軍に入隊。除隊後ロサンジェルス・シティ・カレッジにて演技を学ぶ。その後ユニヴァーサルと契約するが、本格的に人気が上がるのはTVシリーズ「ローハイド」の出演から(日本でもヒットし、この時、初来日を果たす)。映画は64年にイタリアに招かれて撮った「荒野の用心棒」が世界的ヒットを飛ばしたのをきっかけにマカロニ・ウェスタン・ブームに乗り人気上昇。その後71年の「ダーティハリー」のハリー・キャラハン役でマネー・メイキング・スターのトップに躍り出た。以降、自らのプロダクション、マルパソ・カンパニーを率いて「恐怖のメロディ」で初監督。役者のみならず監督としても高い評価を受け、92年、自分の映画の師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた“最後の西部劇”「許されざる者」で念願のアカデミー作品・監督賞を受賞。監督に専念した03年の「ミスティック・リバー」では、人生の不条理と人間の心の闇を描き出した傑作と高い評価を受けたが、同年のアカデミー賞では演技部門で2つのオスカーを獲得するも、自身の監督賞と作品賞は、11部門制覇の快挙を成し遂げた「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の前に涙を呑むこととなった。しかし翌年、女性ボクサーと老トレーナーをめぐる悲愴な人生を描いた監督・主演作「ミリオンダラー・ベイビー」を発表、再びアカデミー賞にノミネートされると、今度は「アビエイター」のマーティン・スコセッシ監督との事実上の一騎打ちを制し、みごと2度目のアカデミー監督賞(74歳での監督賞受賞は最高齢記録)に輝き、前年の雪辱を果たした。同作は作品賞をはじめ主要部門で計4つのオスカーを獲得、もはや名実ともにハリウッドを代表する映画人として誰もが認める巨匠である。また、86年からの二年間、カリフォルニア州カーメル市で市長に就任した。私生活では下積み生活を支えてくれたマギー(二児をもうける)と離婚後、70年代中盤からはソンドラ・ロックと交際(後に慰謝料などを巡っての裁判が話題に)。93年、フランシス・フィッシャーとの間にフランチェスカをもうけ、96年、ニュース・キャスターのディナ・ルイスと再婚(一児あり)した。が、14年に長い調停を経て離婚に至っている。

田中泯
キャスト · 知られているのはゴジラ-0.0
暗黒舞踏の創始者である土方巽に私淑した、前衛的、実験的舞踊家。 しかし、近年では、「私の踊りはもはや、世間一般に言われている舞踏ではない。」と語る。 1964年からクラッシックバレエとモダンダンスを10年間学び、モダンダンサーとして活躍。1966年ソロ公演開始。その後、階級的思想と第二次大戦後の世相をそのままに反映した文化、日本のダンス「業界」そのものに懐疑を抱き始め、1974年より独自の活動を展開、日本現代舞踊協会からも去る。精神―物理の統合体として存在する身体に重点をおいた「ハイパーダンス」へと飛躍的に変化をしていく。結果、その表現活動は日本、そして世界の知識人、科学者、美術作家たちとのコラボレーションへと繋がり、当時の現代美術、文化界に先駆的な衝撃を与えた。 1978年、田中はパリ秋の芸術祭に於ける「日本の時空間―間―」展覧会(磯崎新・武満徹/プロデュース、『ルーブル装飾美術館』にて)で、海外デビューを飾る。以来30年以上、ヨーロッパ、アメリカ、旧社会主義国や発展途上国各地を含めた世界中で独舞、グループの活動を発表し続ける。 既存の表現ジャンル(演劇、舞踊、音楽など)を超え、生活と踊りの境界すら超えた田中の活動は、前衛活動家、美術家、小説家、生命科学者、文化人類学者、民族学者、哲学者などからも傾注を受け、田中の手がけるプロジェクトは共同研究や、社会教育、社会変容を目指したものへと発展をとげていった。こういったジャンルを超えた共同活動は、オペラ作品(振り付けと出演)、現存する伝統芸能・民族舞踊(日本の能や、インドの古典演劇)、視覚的美術、建築、ランドスケープ、医学的/精神医学的科学から即興音楽との表現にまで多岐に渡る。 その活動のかたわら、当時40歳であった田中は、身体および労働と自然との本質的に密接な関係に惹かれ、研究者や仲間のダンサーたちと共に郊外の山村に農場を開設した。近年は、共同の農業の形は閉じ、現在は、単独で継続されている。この農業活動を通じて、「踊りは、人間の農業という身体活動に不可逆的に、どうしようもなく根ざしている」と、確信する。 2002年より、山田洋治監督作品 映画「たそがれ清平衛」(2002)での映像への初出演にて、日本アカデミー賞、最優秀新人賞、最優秀助演男優賞を受賞、近年にはNHK大河ドラマへの出演やドキュメンタリー番組のナレーションなどにも表現の域を広げる。しかし、田中泯は「自分は単なるダンサーであり俳優ではない。」と語る。 田中の、「踊りの起源」への絶え間ない調査と堅固なこだわりは、日常に存在するあらゆる場に固有の踊りを即興で踊るというアプローチによって、「場踊り」という形で、より実践への根を深めている。「場踊り」は日本および世界各地で現在進行形で繰り広げられている。

クレア・フォーラニ
キャスト · 知られているのはCSI:ニューヨーク
イタリア人の父とイギリス人の母との間に生まれる。11歳の時からロンドンでダンスと演技を学び、17歳の頃からTVなどに出演、93年に両親と共にサンフランシスコに渡り、同年TVシリーズでアメリカ・デビューを果たす。映画の方は94年の「ポリスアカデミー'94/モスクワ大作戦!!」でデビューを飾り、96年には「ザ・ロック」でショーン・コネリーの娘を演じて注目された。その後98年の「ジョー・ブラックをよろしく」でブラッド・ピット演じる“悪魔”に恋してしまう娘役を演じ、彼が人間ではないことを知る課程を表情だけで表現するなど、高い演技力を示した。過去にはベニチオ・デル・トロやブラッド・ピット、ベン・スティラーなどと交際していた時期もあったが、07年にダグレイ・スコットと結婚した。

トム・ホランダー
キャスト · 知られているのはThe Uprising, キングスマン:ファースト・エージェント, プライドと偏見
英オックスフォード出身。名門小学校ドラゴン・スクールで演技の教育を受け、ロンドンのナショナル・ユース・シアターで舞台俳優として活躍する。14歳のとき、BBCのTV映画「John Diamond(原題)」(81)で本格的に俳優デビュー。ケンブリッジ大学に進学する一方で舞台を中心に活動を続け、高い評価を得る。ヘレン・ミレン主演の「Some Mother's Son(原題)」(96)で映画デビュー。「ゴスフォード・パーク」(01)などを経て「プライドと偏見」(05)で注目を浴びる。以降「パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト」(06)や「アバウト・タイム 愛おしい時間について」(13)、「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」(15)などの大作・話題作に出演。近年の出演作に「ボヘミアン・ラプソディ」(18)など。

ジェフ・ダニエルズ
キャスト · 知られているのはオデッセイ
米ジョージア州・アセンズ生まれ、ミシガン州チェルシー育ち。セントラルミシガン大学に進学するが、役者を志し中退。1981年、ミロス・フォアマン監督の「ラグタイム」で長編映画デビューを果たす。以降、「愛と追憶の日々」(83)、「カイロの紫のバラ」(85)、「サムシング・ワイルド」(86)で演技派として活躍し、94年には日本でも大ヒットしたアクション大作「スピード」に出演、全米大ヒットコメディ「ジム・キャリーはMr.ダマー」ではジム・キャリーの相棒役で新境地を開拓した。その後は「101」(96)、「カラー・オブ・ハート」(98)、「めぐりあう時間たち」(02)、「グッドナイト&グッドラック」「イカとクジラ」(ともに05)などに出演。TVシリーズ「ニュースルーム」(12~14)ではニュース番組のメインキャスター役で主演を務めた。近年の映画出演作には「帰ってきたMr.ダマー バカMAX!」(14)、「オデッセイ」「スティーブ・ジョブズ」(ともに15)などがある。

沢口靖子
キャスト · 知られているのは千と千尋の神隠し
沢口 靖子(さわぐち やすこ、1965年〈昭和40年〉6月11日[2] - )は、日本の女優。 大阪府松原市[要出典]生まれ[2][3]、堺市西区堀上緑町出身。東宝芸能所属。身長159cm。スリーサイズはB80 W58 H87。 堺市立平岡小学校卒業後、中学2年生まで堺市立上野芝中学校(西区)→堺市立赤坂台中学校(南区)、大阪府立泉陽高等学校卒業[4][5]→奈良教育大学入学辞退。 1984年、第1回「東宝シンデレラ」で3万1653人の中から[6]グランプリに選ばれ、芸能界入り[1][2][7]。この年の映画『刑事物語3 潮騒の詩』で女優デビュー[2]。このとき映画内の挿入歌「潮騒の詩」も歌い、歌手としてもデビューしている。 映画『ゴジラ』(1984年、東宝)で、第9回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。挿入歌「さよならの恋人」も歌唱。 1985年度上半期に放送されたNHK連続テレビ小説『澪つくし』のヒロインを演じ、人気と知名度を全国的に定着させた[1]。その後も天然の美貌と笑いを愛する関西人的なノリのギャップを活かし、主演級での出演を中心としてシリアスな役柄から喜劇タッチのコメディーまで、ドラマ、映画、CMなどで型にはまらない役者ぶりを見せ、多方面に活躍を続けている[1]。 1999年10月にスタートしたドラマ『科捜研の女』第1シリーズ(テレビ朝日・東映)に京都府警科学捜査研究所の法医学研究員・榊マリコとして主演した。同作はシリーズ化され、初期は低迷気味だった視聴率も2005年頃より安定して長寿番組となった。2019年4月からは初の通年放送となる第19シリーズを放送、2020年10月22日より第20シリーズを放送。 第9回『24時間テレビ』(1986年、日本テレビ系)ではチャリティー活動に取り組み、パーソナリティーを務めた。 2015年、第23回橋田賞を受賞[8]。 同年、京都府警察のイメージアップに大きく貢献したとして、同本部より感謝状を贈呈された[9]。 同年、第13回クラリーノ美脚大賞・特別賞を受賞[10]。

アラン・リックマン
キャスト · 知られているのはハリー・ポッターと死の秘宝 Part2, ハリー・ポッターと死の秘宝 Part1, ハリー・ポッターと賢者の石
アイルランド人の父とウェールズ出身の母のもと英ロンドンに生まれる。大学でグラフィックデザインを学び、卒業後は友人たちと会社を設立するも、かねて憧れていた俳優になるため王立演劇アカデミーのスカラシップを獲得し3年間在籍する。その後、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどで活躍し、1987年に「危険な関係」でブロードウェイに進出。スクリーンデビュー作「ダイ・ハード」(88)では、テロの首謀者ハンス・グルーバー役を演じて一躍注目を集めた。91年の「ロビン・フッド」で英国アカデミー賞助演男優賞を受賞し、96年のTV映画「ラスプーチン」ではゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞。悪役のイメージが強いが、「ラブ・アクチュアリー」(03)などのロマンスや「ギャラクシー・クエスト」(99)のようなコメディでも才能を発揮した。大ヒットした「ハリー・ポッター」シリーズでは、1作目「賢者の石」(01)から最終章「死の秘宝 PART2」(11)までセブルス・スネイプ教授役を演じた。俳優として数々の名演を見せるだけでなく、監督として「ウィンター・ゲスト」(97)と「ヴェルサイユの宮廷庭師」(14)の2作品を発表している。16年1月14日、ガンのため69歳で死去。ボイスキャスト(青い芋虫アブソレム役)を務めた「アリス・イン・ワンダーランド」(10)の続編「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」(16)が遺作となった。

ヴィンセント・カーシーザー
キャスト · 知られているのはマッドメン, TIME/タイム, エンジェル
93年、14歳の時に映画「忘れられない人」で子役としてデビュー。以降、「アラスカ 小さな冒険者たち」(96)、「トラブルボーダー」(97・ともに日本劇場未公開)などに出演し、「アナザー・デイ・イン・パラダイス」(98)ではドラッグ中毒で泥棒の少年役を演じ、インディペンデント映画界で注目を浴びる。人気TVシリーズ「バフィー 恋する十字架」のスピンオフドラマ「エンジェル」(02~04)で、主人公の息子コナー役を演じ広く知られるようになる。批評家から高い評価を得ているTVシリーズ「マッドメン」(07~)では、出世欲の強い営業マンのピート・キャンベル役を演じる。映画でも、アカデミー長編アニメ賞を受賞した「ランゴ」や、「TIME タイム」(ともに11)といった話題作に出演している。

モニカ・ベルッチ
キャスト · 知られているのはティアーズ・オブ・ザ・サン, ミッション・クレオパトラ, ビートルジュース ビートルジュース
“イタリアの宝石”と称される美人女優。大学生の時にアルバイトでモデルの仕事を始めたところ、たちまち売れっ子となり、1990年にTVドラマで女優デビューし、同年「Briganti(原題)」で映画デビューも果たす。92年、フランシス・フォード・コッポラ監督の「ドラキュラ」でハリウッドに進出し、仏伊合作のラブロマンス「アパートメント」(96)では、後の夫となる仏俳優のバンサン・カッセルと共演。カッセルと再共演した仏映画「ドーベルマン」(97)が世界的に大ヒットし、以後、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「マレーナ」(00)や、ギャスパー・ノエ監督作「アレックス」(02)で主演を務め、SF大作「マトリックス」3部作の2作目「リローデッド」と最終作「レボリューションズ」(ともに03)にも出演。メル・ギブソンがメガホンをとった「パッション」(04)ではマグダラのマリアを演じた。その後もイタリア国内外で活動し、「007」シリーズ第24弾「スペクター」(15)では、同シリーズ史上最高齢となる51歳(公開時)でボンドガールに起用された。カッセルとは99年に結婚し、娘が2人誕生したが、13年に破局した。

マシュー・マコノヒー
キャスト · 知られているのはSING/シング, インターステラー, トゥルー・ディテクティブ
米テキサス州出身。大学在学中から俳優を志し、リチャード・リンクレイター監督の「バッド・チューニング」(93)で本格的デビュー。「評決のとき」(96)の主演に抜てきされて世界的な注目を集め、スティーブン・スピルバーグ監督の「アミスタッド」(97)、海洋アクション「U-571」(00)などの話題作に出演。アドベンチャー大作「サハラ」(05)では共演者のペネロペ・クルスと恋仲になった。肉体美を誇る“シャツレス俳優”の代名詞となる一方、一時ヒット作から遠ざかったが、「リンカーン弁護士」(11)で演技派として再ブレイク。「マジック・マイク」や「MUD マッド」(ともに12)で好演を見せ、「ダラス・バイヤーズクラブ」(13)では約21キロの大幅な減量でエイズ患者を演じ、アカデミー主演男優賞を受賞した。以降は「インターステラー」(14)、「ゴールド 金塊の行方」(17)、「ジェントルメン」(20)などに主演している。

ビル・パクストン
キャスト · 知られているのはナイトクローラー, エイリアン2, タイタニック
テキサス州フォートワース出身。父は俳優ジョン・パクストン。18歳の時にロサンゼルスに引越し、ロジャー・コーマンのニュー・ワールド・ピクチャーズで美術スタッフとして働き始め、同スタジオの「クレイジー・ママ」(75・日本劇場未公開)で俳優デビューする。その後、ニューヨーク大学でステラ・アドラーに演技を学び、低予算の映画やTVドラマの出演を経て、「エイリアン2」(86)や「タイタニック」(97)といったジェームズ・キャメロン監督の主要作で活躍するようになる。その他の出演作に、「アポロ13」(95)、「ツイスター」(96)、「U-571」(00)、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(14)など。17年2月25日、心臓手術後の合併症で死去。その3週間前に放送が開始されたばかりの主演ドラマ「トレーニング デイ(原題)」では、息子ジェームズと共演していた。

マリサ・トメイ
キャスト · 知られているのはThe Mongoose, スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム, マネー・ショート 華麗なる大逆転
米ニューヨークのブルックリン生まれ。ボストン大学在学中に俳優としてデビューすることが決まり1年で退学。1984年「フラミンゴキッド」で映画に初出演する。法廷コメディ「いとこのビニー」(92)でジョー・ペシ演じる主人公の恋人を熱演し、第65回アカデミー助演女優賞を受賞。 「チャーリー」(92)を経て、「忘れられない人」(93)で初主演、以降「ザ・ペーパー」(94)、「ミルドレッド」(96)、「ウェルカム・トゥ・サラエボ」(97)、「ハート・オブ・ウーマン」(00)などに出演する。「サロメ」(03)ではタイトルロールを演じ、「イン・ザ・ベッドルーム」(01)、「レスラー」(08)ではアカデミー助演女優賞にノミネートされた。 その後の出演映画に「その土曜日、7時58分」(08)、「ラブ・アゲイン」(11)など。「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」(16)、「スパイダーマン ホームカミング」(17)でピーター・パーカー/スパイダーマンの保護者であるメイおばさん役を演じ、以降も多数のマーベル作品で同役を演じる。

バリー・ペッパー
キャスト · 知られているのはプライベート・ライアン, グリーンマイル
カナダ出身。5歳の頃から家族とともに自家製の船で5年間の船上生活を送り、フィジーやタヒチを巡る。帰国後はバンクーバー近郊の小島でヒッピーや芸術家に囲まれて暮らし、1988年に高校を卒業。バンクーバー・アクターズ・スタジオで演技を学び、92年にTVドラマの端役でデビュー。青春ドラマ「Madison(原題)」(93)やTVミニシリーズ「Titanic(原題)」(96)などに出演するも伸び悩んでいたが、スティーブン・スピルバーグ監督作「プライベート・ライアン」(98)のダニエル・ジャクソン二等兵役でブレイク。以降「エネミー・オブ・アメリカ」(98)、「グリーンマイル」(99)、「25時」(02)、「父親たちの星条旗」(06)、「トゥルー・グリッド」(10)、「ローン・レンジャー」(13)など、多くの話題作で名バイプレーヤーとして活躍している。

グレン・クローズ
キャスト · 知られているのはナイブズ・アウト: ウェイク・アップ・デッドマン, La bola negra, The Hunger Games: Sunrise on the Reaping
高校時代に劇団を結成し、ウィリアム・アンド・メアリー大学で演技を学ぶ。1964年、プロとしての初舞台を踏み、74年にブロードウェイデビューする。アンドリュー・ロイド=ウェバー演出のブロードウェイミュージカル版「サンセット大通り」(95)などで、トニー賞を3度受賞した。スクリーンデビュー作「ガープの世界」(82)で、実際には5歳年下のロビン・ウィリアムズの母親役を演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされる。その後も「危険な情事」(87)、「再会の時」(83)、「ナチュラル」(84)、「危険な関係」(88)、「アルバート氏の人生」(11)、「天才作家の妻 40年目の真実」(17)でオスカー候補に挙がり、Netflixオリジナル映画「ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌」(21)でもアカデミー助演女優賞にノミネートされ、通算8度目のオスカーノミネートを果たす。その他の出演作に、「101」(96)、「エアフォース・ワン」(97)、「クッキー・フォーチュン」(99)、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(14)、「アガサ・クリスティー ねじれた家」(17)など。自ら製作総指揮も務めた「潮風のサラ」シリーズ(88~03)などTVドラマでも活躍し、近年は「ダメージ」(07~)でエミー賞の主演女優賞に08年から3年連続してノミネートされている。

エドワード・ノートン
キャスト · 知られているのはインクレディブル・ハルク, ファイト・クラブ, ミニミニ大作戦
米マサチューセッツ州ボストン出身。父親は連邦主席検察官、母親は元高校教師、祖父が建築家という名家に育つ。高校から演劇を始め、イェール大学を卒業後ニューヨークに移り、演劇活動を本格的に開始。1996年、リチャード・ギア主演の「真実の行方」で映画デビューすると、いきなりアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞では映画部門の最優秀助演男優賞を受賞。その後、ミロス・フォアマン監督の「ラリー・フリント」(96)などを経て、「アメリカン・ヒストリーX」(98)でアカデミー主演男優賞にノミネートされる。翌99年に主演した「ファイト・クラブ」は大きな話題を呼び、01年に「僕たちのアナ・バナナ」で監督業にも進出。以降、「25時」「レッド・ドラゴン」(ともに02)などに出演し、マーベル・コミックの人気キャラクターを実写映画化した「インクレディブル・ハルク」(08)では主演を務めた。近年では、ウェス・アンダーソン監督の「ムーンライズ・キングダム」(12)と「グランド・ブダペスト・ホテル」(14)に2作連続で出演。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」(14)で、再びアカデミー助演男優賞にノミネートされた。

山茶花究
キャスト · 知られているのは天国と地獄
大阪府大阪市出身。生家は船場でも指折りの米問屋だったが、米騒動のあおりを受けて倒れる。兵庫県立神戸工業学校の建築科に入り、建築会社への就職が決まっていたが、実兄が東京で画家の修行をしていたことから、自らも画家の道が捨てきれず、卒業試験をすっぽかして単身東京へ行く。この頃、社会主義思想に傾倒し、特高にも目をつけられ、尾行を巻いているうちに浅草のレビュー小屋に潜り込んで、そのまま文芸部員としてレビューの台本を書いたり、また歌手として舞台で歌ったりして生計を立てるようになる。 1932年11月にカジノ・フォーリーで歌手としてデビュー。1933年1月に浅草オペラ館の俳優となる。その後エノケン劇団、万盛座のグラン・テッカール、「吉本ショウ」などを転々とする[1]。当時は笠井峰と名乗っていた。のち大阪に戻り、いくつかの舞台に立つが、芽が出ずに俳優を辞めて朝鮮に行き、実業につく。1937年8月、東宝のロッパ一座に入り役者に復帰。このとき一緒に入ってきた森繁久彌と出会う。ここで芸名を加川久と名乗る。 1939年3月、当時絶大な人気を得ていた「あきれたぼういず」がリーダーの川田義雄を残して、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英が吉本興業から松竹系の新興キネマ演芸部に引き抜かれ、その川田の代役として選ばれ、山茶花究の名で第2次あきれたぼういずを結成する。1943年に解散、森川信の新青年座に副座長で入り、1944年に山茶花究劇団を組織して巡業するが、戦況の悪化により解散する。その後、水の江滝子主催の劇団たんぽぽに加わり、終戦を迎える。 敗戦直後の1945年10月に再び劇団を立ち上げるが、すぐに解散。1946年に坊屋三郎、益田喜頓と「あきれたぼういず」を再結成。1952年に解散後は、喜劇役者として舞台や映画で活躍。ラジオのジャズ番組の司会などをしていたところ、森繁久彌から誘われて映画『夫婦善哉』にふちなし眼鏡をかけたインテリの番頭役で出演、冷酷で神経質なキャラクターを嫌味たっぷりに演じ、性格俳優として飛躍。 『社長シリーズ』『駅前シリーズ』などの喜劇映画に多数出演する一方、黒澤明、川島雄三作品の常連俳優でもあった。エラの張ったギョロ目の風貌で、高利貸しやヤクザの親分など嫌味かつ個性的な役どころなど天下一品の味わいを出し、悪役も善玉もこなす性格俳優として、日本映画黄金期に140作品以上の作品に出演した。1961年に『女は二度生まれる』の演技でNHK助演男優賞を受賞。 また舞台でも活躍し、森繁劇団では番頭格として三木のり平と共に森繁の片腕として動く。喜劇畑出身の俳優だったが、実際は左翼思想に傾倒していただけに新劇志向だったという。1970年5月、森繁劇団の明治座公演で倒れ、酸素マスクをつけてまで舞台に立ったが、気管支拡張症で入院。肺結核と糖尿病に苦しみ、死の床に見舞いに来た森繁久弥に「繁ちゃん、いっしょに逝こう」という言葉を残し、翌1971年3月4日午前6時16分に心不全で息を引き取った。 芸名は、九九の「さざんがきゅう(3×3=9)」に由来する。またいつもサインを求められると、「非情」とそえていた。
半田翼
Composer · 知られているのは勇者パーティーを追放された白魔導師、Sランク冒険者に拾われる ~この白魔導師が規格外すぎる~
1996年生まれ、埼玉県出身。 国立音楽大学作曲専修卒業。 幼少期に音楽と出会い作曲の道を志す。 大学在学時より劇伴制作に携わり、 その後作編曲家として活動を開始。 ボーカルソングや映像音楽を中心に活動中。

ロバート・ダウニー・Jr.
キャスト · 知られているのはアイアンマン, アイアンマン3, アベンジャーズ
5歳の時に父のロバート・ダウニー監督作で映画デビュー。高校中退後、本格的に俳優として活動を始め、1987年「ピックアップ・アーチスト」で映画初主演を務める。「チャーリー」(92)でアカデミー主演男優賞に初ノミネート。人気ドラマ「アリー・myラブ」(00~01)で主人公の恋人役が好評を博すなど、順調にキャリアを重ねていたが、薬物トラブルで一線を退く。薬物依存を克服した後、03年に俳優業に復帰し、「ゾディアック」(06)などに出演。 08年、主人公トニー・スターク役で主演した「アイアンマン」が大ヒットし、コメディ「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」でアカデミー助演男優賞にノミネートされ、完全復活を果たすと、アクション大作「シャーロック・ホームズ」(10)と続編「シャドウ ゲーム」(11)の名探偵ホームズ役も当たり役となった。アイアンマン/トニー・スターク役では、「アイアンマン」続編2作に加え、「アベンジャーズ」シリーズ(12~)、「シビル・ウォー キャプテン・アメリカ」(16)、「スパイダーマン ホームカミング」(17)などに出演し、「アベンジャーズ エンドゲーム」(19)までの一連のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)作品の中心的存在として活躍した。 クリストファー・ノーラン監督の歴史映画「オッペンハイマー」(23)で第96回アカデミー助演男優賞を受賞。その他の出演作に「ジャッジ 裁かれる判事」(14)などがある。

岸部一徳
キャスト · 知られているのはドクターX ~外科医・大門未知子~, 相棒
1967年、グループサウンズの人気バンド「ザ・タイガース」のベーシストとしてデビュー。“サリー”の愛称で親しまれ、71年のグループ解散までリーダーを務める。その後も音楽活動を続けたが、75年に演出家・久世光彦の勧めで本格的に俳優に転身。大林宣彦監督作「時をかける少女」(83)や伊丹十三監督作「お葬式」(84)などを経て、カンヌ国際映画祭審査員グランプリに輝いた小栗康平監督作「死の棘」(90)では、第14回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞した。その後も映画・ドラマで名バイプレイヤーとして活躍。映画出演作に、北野武監督の「その男、凶暴につき」(89)、「座頭市」(03)、「アウトレイジ 最終章」(17)、阪本順治監督作「大鹿村騒動記」(11)や「団地」(16)、本木克英監督作「空飛ぶタイヤ」(18)など。TVドラマ「相棒」シリーズ(02~10)の小野田官房長役や、「ドクターX 外科医・大門未知子」シリーズ(12~17)の名医紹介所所長の神原役でも人気を博す。

小林稔侍
1961年、「第10期東映ニューフェイス」に合格し、映画「警視庁物語 十代の足どり」(63)で俳優デビュー。以降、70年代中頃まで東映の「網走番外地」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズなど、仁侠映画やアクション映画で多くの悪役を演じる。80年代以降はTVドラマにも活躍の場を広げ、「なんでも屋探偵帳」シリーズ(90)で主演を務めるなど、幅広いジャンルで活躍。憧れだった高倉健と共演を果たした「鉄道員 ぽっぽや」(99)で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。山田洋次監督作の常連で、「学校III」(98)以降、「たそがれ清兵衛」(02)、「東京家族」(13)、「母と暮せば」(15)などに出演する。18年、黒土三男監督作「星めぐりの町」で76歳にして映画初主演を飾った。その他の映画出演作に、「楢山節考」(83)、「珈琲時光」(03)、「すべては君に逢えたから」(13)など。

松重豊
松重 豊(まつしげ ゆたか、1963年1月19日 - )は、日本の俳優である。福岡県出身。身長188cm長らく身長は公称189cmであったが、2007年10月に開設された松重本人のブログのプロフィール欄にて、身長が縮んで188cmになったと記されている。、体重77kg、靴のサイズは28.0cm。血液型はAB型。西南学院高等学校卒業、明治大学文学部文学科卒業(演劇学専攻)。所属は、東京サンシャインボーイズ、蜷川スタジオを経て、現在はザズウ。 1986年、明治大学を卒業するのと同時に、蜷川幸雄主宰の演劇集団「ニナガワ・スタジオ」に入団。下積み時代を経て、30歳の時に出演した舞台で注目を集め、NHK大河ドラマ「毛利元就」(97)で吉川元春役に大抜てきされる。以降、TVドラマや映画にも多数出演。NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」(07)では貫地谷しほり演じるヒロインの父親役を好演した。映画でも、07年の「しゃべれども しゃべれども」で第62回毎日映画コンクール助演男優賞、09年の「ディア・ドクター」で第31回横浜映画祭助演男優賞を受賞。バイプレイヤーとして活躍を続け、12年に「孤独のグルメ」で連続ドラマ初主演。同作は好評を博し、14年までにシーズン4まで制作・放送された。人気ドラマ「HERO」第2期(14)でさらに知名度が高まり、翌15年公開の劇場版にも続投する。ナレーターの経験も豊富で、長編アニメ映画「百日紅 Miss HOKUSAI」(15)でアニメ作品の声優に初挑戦した。